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宿坊に泊まって戸隠を満喫しよう!

 戸隠神社周辺には、「宿坊(しゅくぼう)」と呼ばれる宿泊施設が数多く軒を並べています。

 宿坊では伝統的な精進料理に加え、戸隠そばや信州牛や信州サーモンといった長野ならではの料理を味わうとともに、朝拝などの寺社文化を体験することも可能です。

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戸隠古道を歩こう②!祓沢(はらいざわ)から戸隠商工会館前まで

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古(いにしえ)の時代の人々も歩いた巡礼の道「戸隠古道」ですが、今回は祓沢(はらいざわ)から戸隠商工会館前道標までの道のりをご紹介します。

途中観光スポットもたくさんありますので、実際に歩いて、戸隠の歴史と文化、大自然を体感してみてください。

 

ここまでの道のり(一の鳥居苑地(いちのとりいえんち)から祓沢(はらいざわ)まで)は、こちらの記事を見てください。

戸隠古道を歩こう①!一の鳥居苑地から祓沢(はらいざわ)まで
戸隠古道(とがくしこどう)とは一之鳥居苑地(いちのとりいえんち)を起点とする戸隠参拝古道のことを言います。 古(いにしえ)の時代の人々も歩いた巡礼の道「戸隠古道」を歩いて、戸隠の歴史と文化、大自然を体感してみませんか? まずは全体ルートや距...

祓沢(はらいざわ)から戸隠商工会館前道標まで

祓沢(はらいざわ)から戸隠商工会館まで、途中観光スポットに寄りながら、歩くと道のりは3.5km弱となります。

時間は歩くスピードにもよりますが、1時間くらいの時間を見ておくと良いでしょう。

祓沢から湯之嶺夕日展望苑(ゆのみねゆうひてんぼうえん)まで

祓沢から少し進むと、古(いにしえ)の丁石(二十九丁)を見ることができます。

当時の丁石は埋もれてしまったり、持ち去られたりしたため、現存するのは数か所となってしまっています。

この丁石は当時のものが残っているもので、貴重な文化財となっています。

いつ置かれたものか定かではありませんが、一説には慶長年間(1596年から1615年)の頃に設置されたと言われています。

 

さらに進むと途中にベンチが設置されているところに出ます。

目指す湯之嶺夕日展望苑(ゆのみねゆうひてんぼうえん)までは残り500mです。

その500mを進んでいくと当時の石畳が所々に残っているのを見ることができます。

かつての参道は石畳で、この上を多くの人が行き来したと思うと不思議な感じがします。

 

さらに進むとちょうど三十七丁の丁石が置かれた分岐点に出ますので、展望苑に立ち寄る場合は左方向へ進みます。

展望苑に向かう道は草が伸びているところも多いですが、気にせず進みます。

進んでいくと、途中、東屋(あずまや)があります。

さらに進むと突然視界が開け、展望苑に出ます。

「戸隠そば博物館とんくるりん」の大滑り台がありますが、2014年に事故があり、現在も使用が禁止されています。

戸隠山方面は木の葉が生い茂っていて、見通しはあまり良くありません。

春と秋の一定期間には、北アルプス連峰に夕日が沈む幻想的な景色が楽しめます。

「戸隠そば博物館とんくるりん」からも、この展望苑に上がってくることが可能ですので、時間が合えば、とんくるりん側から上がってきてサンセットを見るのも良さそうです。

湯之嶺夕日展望苑から一の午王橋供養石(いちのごおうばしくようせき)まで

展望苑から古道の分岐点まで戻り、先に進みます。

ほぼ平坦な道が続きます。

ちょうど四十二丁の丁石のところに見えてくるのが、一の午王橋供養石(いちのごおうばしくようせき)です。

新しい橋を架けたときに、古い橋を供養するために建てたものと言われていますが、真偽は定かではありません。

供養石の側面には「文化七寅午歳七月造作之 徳善院順寛 村越義光」と記されており、文化七年(1810年)に置かれたものであることが分かります。

「左ぜんくハうじ道 右うえの村みち」とも記されており、道標の兼ねています。

 

また一の午王橋供養石(いちのごおうばしくようせき)の反対側に、五輪塔「熊の塔」があります。

下から地輪を意味する四角、水輪の丸、火輪の三角(笠)、風輪の半球、空輪の宝珠からなっており、全体で全世界を表していました。

この塔は水輪の丸が抜けていますが、それでも高さは170cmほどあります。

五輪塔は各地にあって、死者の供養のためや墓標として作られてきましたが、今ではその意味も不明になり、熊の霊を弔ったものだともいわれています。

一の午王橋供養石から戸隠商工会館前道標まで

一の午王橋供養石からしばらく車も通る道を歩きますので、気を付けて進んでください。

四十三丁の丁石を超えて、しばらく進むと山道が見えてきますので、山道に入ります。

山道をどんどん進みます。

するとまた車も通る道に合流しますので、合流したら左に進みます。

ここからは車も通る道を歩きますので、気を付けて歩いてください。

しばらく道なりに進むと分岐点に出ます。地蔵堂に立ち寄る場合は、左へ進んでください。時間がなく直接宝光社へ行きたい場合は、右に進むと宝光社の前に出ます。

左に進んで、しばらく道なりに進みます。

長野吉田高等学校戸隠分校の横を過ぎると、間もなく戸隠商工会館前に出ます。

ここからは、車の通行量の多い戸隠バードライン(県道506号線)を歩きますので、気を付けて歩くようにしてください。

戸隠商工会館前道標

道を渡ったところに道標があります。

道標には「右宝光院御宮 左鬼無里(きなさ)」と記されています。左に進むと昔は鬼無里まで続く道でした。

 

ここから始まる前原地区は、坂道の上にある宝光社の人々にとっては村はずれで、墓地のある死者の土地と考えられていました。
飯綱方面からやってきた参詣者は、商工会館の手前にあるしめ縄をくぐって、死者の土地を通り、信仰の地である宝光社に入ることになります。

 

商工会館には観光案内所も併設されていますが、平日は閉鎖されています。

ただし観光パンフレットは窓口に置かれていますので、平日でもいただくことは可能です。

 

また戸隠古道拓本集印帳が欲しい方は、平日でも商工会館の方で販売されていますので、商工会館まで問い合わせてみてください。

 

続き(戸隠商工会館から宝光社まで)の見どころはこちらの記事を見てください。

戸隠古道を歩こう③!戸隠商工会館前道標から宝光社(ほうこうしゃ)
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