戸隠古道(とがくしこどう)とは一之鳥居苑地(いちのとりいえんち)を起点とする戸隠参拝古道のことを言います。
古(いにしえ)の時代の人々も歩いた巡礼の道「戸隠古道」を歩いて、戸隠の歴史と文化、大自然を体感してみませんか?
まずは全体ルートや距離、所要時間、歩く際の注意点などを、こちらの記事で見てください。
一の鳥居苑地から祓沢まで
一の鳥居から戸隠展望苑のある祓沢までは二十八丁(3.0km)あります。
途中の大久保の茶屋までは山道を歩く道ですが、大久保の茶屋から祓沢までは戸隠バードライン沿いの遊歩道を歩く道になります。
駐車場から一の鳥居跡(いちのとりいあと)まで
駐車場から一の鳥居跡を目指します。
車止めを避けて、戸隠バードライン(県道506号線)沿いに進んでいきます。
しばらく行くと一の鳥居跡に出ます。
一の鳥居跡の詳細については、こちらの記事を見てください。
一の鳥居跡から大久保の茶屋(おおくぼのちゃや)まで
一の鳥居跡を超えて戸隠古道を進んできます。
途中、丁石(ちょういし、一丁(109m)ごとに置かれる道標、中には昔の丁石が残っているものもあります)を見つけながら歩くのも楽しいものです。
ただし欠落しているものもありますので、むきになって探さないようにしてください。
一の鳥居苑地から大久保の茶屋までの道のりは、戸隠バードラインから少し離れた山間の道となっており、歩いていて楽しい道のりです。
戸隠バードライン(県道506号線)からも少し離れているためか、鳥のさえずりなども聞こえてきて、気持ちよく歩くことができます。
しばらく道なりに進むと、大久保の茶屋の横に出ます。
案内板にあるように、一旦戸隠バードラインに出て、歩くことになります。車に注意して歩くようにしてください。
なお案内板の足元に六丁(654m)の丁石が置かれています。
この場所は柏原(現在の信濃町)からの下道と善光寺から戸隠表参道が交差するところで、昔は交通の要所で、茶屋が二軒ありました。
戸隠神社へ参拝する人たちは、ここで名物の「力餅」を食べて、元気を付けて戸隠へ向かったと言われています。
茶屋は昭和十五年(1940年)に閉店してしまいましたが、その後戸隠バードラインが開通した年にそば屋として、開店したのが、現在の二軒のそば屋です。
なお大久保西の茶屋の裏側にある大石は、九頭龍大権現が大座法師池に出かけるのに通った抜け穴と言われています。
私有地の中にありますので、見てみたい人は大久保西の茶屋で声を掛けてみてください。
大久保の茶屋から祓沢まで
大久保の茶屋からは、戸隠バードライン(県道506号線)沿いの道を歩くことになります。
写真のようにしっかり草刈りされた歩きやすい遊歩道になっています。
しばらく道なりに歩いていきます。
この区間は、戸隠バードライン(県道506号線)に近づいたり、離れたりしながら戸隠古道は続きます。
二十一丁(一の鳥居から2.2km)の丁石のすぐそばに、高原野菜の直売所があります。
直売所の横を通ってさらに進むと、二十六丁の丁石の先に戸隠展望苑の駐車場が見えてきます。
戸隠展望苑(とがくしてんぼうえん)
祓沢の手前にあり、戸隠山を一望できる展望苑があります。
手前の広大な農地にはそばが植えられており、9月上旬から中旬までは満開のそばの花の向こうに戸隠山を望むこそができます。
駐車場が完備されていますので、車で五社めぐりされる場合でも、立ち寄っていただくことが可能です。
祓沢(はらいざわ)
一の鳥居から二十八丁(3.0km)のところが祓沢です。
ここは宝光社、中社、奥社のどこへ行くにも必ず通らなければならない場所なので、ここに関所が置かれたこともありました。
またかつては、茶屋や馬屋もあったようですが、今はその痕跡すら確認することはできません。
道標には、「右ちう(ゐん)」、「左ほ[本]うくハう(ゐん)御宮道」と書かれています。
( )の中の字は明治の廃仏毀釈の時に削り取られたことが確認できます。
続き(祓沢から戸隠商工会館まで)の見どころはこちらの記事を見てください。
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