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宿坊に泊まって戸隠を満喫しよう!

 戸隠神社周辺には、「宿坊(しゅくぼう)」と呼ばれる宿泊施設が数多く軒を並べています。

 宿坊では伝統的な精進料理に加え、戸隠そばや信州牛や信州サーモンといった長野ならではの料理を味わうとともに、朝拝などの寺社文化を体験することも可能です。

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戸隠古道を歩こう⑥!奥社道 中社から奥社参道入口まで

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古(いにしえ)の時代の人々も歩いた巡礼の道「戸隠古道」ですが、今回は中社(ちゅうしゃ)から奥社参道入口までの道のりをご紹介します。

途中観光スポットもたくさんありますので、実際に歩いて、戸隠の歴史と文化、大自然を体感してみてください。

ここまでの道のり(一の鳥居苑地から中社まで)はこちらの記事を見てください。

戸隠古道を歩こう①!一の鳥居苑地から祓沢(はらいざわ)まで
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中社(ちゅうしゃ)西参道入口無料駐車場

中社(ちゅうしゃ)の西参道入口無料駐車場に車を停めたら、駐車場入り口方向に見える坂道を登っていきます。西側無料駐車場からも同じ道に出ることが可能です。

ゆるやかな坂道になっていますので、道なりに登っていきます。

西側無料駐車場の横を登っていきます。

しばらく道なりに登っていくと「女人堂跡(にょにんどうあと)」に出ます。

女人堂跡(にょにんどうあと)

もともとは、この地に奥社遥拝堂(おくしゃうはいどう)がありました。

明治まではこれより先は、修行の地として女人禁制でした。

そのため、参拝に来た女性はここから奥院(奥社)を遥拝していました。

明治に入り廃仏棄釈となり、女人禁制は解かれ、その時にお堂も取り壊されてしまいました。

またここは、奥院堂と越後道の分かれ道となっており、道標も建てられています。

道標には「右 えちごみち 左 おくのいん」と記されています。

道標の上部真ん中には廃仏棄釈の時に梵字が削られた跡が残っています。

女人堂跡から比丘尼石(びくにいし)

女人堂跡の分かれ道を左に進みます。

すると車も通る広い道に出ますので、車に気を付けながら、そのまままっすぐ進みます。

しばらく行くとまた分岐点がありますが、まっすぐ進みます。

まっすぐ進んでいくと、すぐに比丘尼石(びくにいし)にでます。

比丘尼石(びくにいし)

女人堂跡には、かつて奥社遥拝堂(おくしゃうはいどう)がありました。

そこから先は修行の地であり、女人禁制とされており、女性は奥へ進むことはできませんでした。

ところがこの禁を破り、奥へ進もうとした尼僧がここで石になったとされているのが、比丘尼石(びくにいし)です。

比丘尼石伝承

 

よく晴れたある秋の日、一人の比丘尼がお供を連れて戸隠へやってきました。二人は奥の院目指して、この女性が立ち入る事ができる限界点の女人堂までやってきました。お供はもとより比丘尼はこれより先は女人禁制であることを十分承知していました。ところが、比丘尼はそんな掟など気にしないがごとく、女人堂より奥へズンズンと歩き出しました。お供は慌てて比丘尼を引き止め「ここで遥拝をして、早々に下山いたしましょう」と強く申し入れましたが、比丘尼はお供がいかに申し入れても聞き入れることなく、更に奥へ進もうとします。
お供はついに主を引き止めることができず、掟を破った恐ろしさに震えて前にも後にも動けなくなりました。できることはただただ、主の行動が神の怒りに触れぬように一心不乱に祈ることだけでした。ところがどうでしょう、比丘尼が足を進めてしばらく行くと、今まで元気の良かった様子が一変し、ふと歩みを止めたかと思うとその場にバッタリと倒れ込んでしまいました。そしてみるみるうちに身が硬直し、どんどん石に変わっていくではありませんか!後ろで、それを見ていたお供は、あまりの驚きに主のもとに駆け寄りそうになりましたが、なんとかこれより先は女人禁制である事を思い出し、あわてて本坊まで駆け戻りました。

比丘尼石から女人結界碑(にょにんけっかいひ)

しばらく道なりに進みます。

すると女人結界碑(にょにんけっかいひ)へと続く道への分岐点に出ます。

気を付けておかないと、通り過ぎてしまうような細い道なので、女人結界碑へ立ち寄る方は、見過ごさないようにしてください(光明院のすぐ手前です)。

脇道へ入り、道なりにどんどん進みます。

700~800m進むと見えてくるのが女人結界碑(にょにんけっかいひ)です。

女人結界碑(にょにんけっかいひ)

女人結界碑(にょにんけっかいひ)は寛政七年(1795年)6月の建立で「右 奥院中院 両道女人結界 左 中院へ女人道 於当山本坊新建之 願主 山中為之進義」と記されています。

「右 奥院中院」は奥院を経て中院へ行く道で男道と呼ばれていました。また「女人道」は奥院に寄れない女性たちが越後から中院へ行く道で女人堂跡に続いています。

戸隠山 公明院(とがくしやま こうめいいん)

そして来た道を分岐点まで戻り、奥社方向に少し進むとあるのが公明院(こうめいいん)です。

公明院は全国的にも珍しい神仏習合(しんぶつしゅうごう、 日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと)のお寺で、戸隠最後の修験道行者といわれる女性、姫野公明師が建てたものです。

公明師は明治31年に生まれ、中国で修行後、昭和16年に戸隠に入り、戸隠信仰遺跡の発掘にも務めた人物です。

明治天皇叔母宮尼公により剃髪を賜ったことから天皇の隠し子ではないかといわれたこともあったようです。

また拝殿の天井には天井絵も奉納されているのですが、外からでも見ることが可能です。

その他、境内で「釈長明火定の地(しゃくちょうめいかじょうのち)」や「日本六十六社一の宮(にほんろくじゅうろくしゃいちのみや)」を見ることもできます。

釈長明火定の地(しゃくちょうめいかじょうのち)

公明院の一角に平安時代の戸隠山の住僧で法華経の修験者だった釈長明(しゃくちょうめい)の「火定」(かじょう)の跡があります。

釈長明(しゃくちょうめい)は永保年間(1081~84年)の頃、25歳から無言のまま横にもならずに行を続けた修験者で、最後は生きながらに身を焼き、兜率天(とそつてん、、仏教の世界観における天界の一つ)に上る火定(仏道修行者が火の中に身を投げ入れて、即身仏となること)を行いました。

火定により即身仏となり、衆生救済を願ったとされています。

日本六十六州一の宮(にほんろくじゅうろくしゅういちのみや)

公明院の境内に日本六十六州一の宮(にほんろくじゅうろくしゅういちのみや)があります。

文化8年(1811年)に、戸隠栃原にある大昌寺に和尚瑞応は、長明と自分の両親の菩提を弔うために法華経六十六部を書き写し、箱に入れて地中に埋めました。

そして、そこに法華経六十六部供養塔を建て、周りにそれぞれ一基ずつ日本六十六国の一の宮を安置しました。

六十六州とは全国六十六ヵ所の霊場のことで、そこに法華経を一部ずつ納めて巡礼する行脚僧がいました。ここでは六十六ヵ所の霊場をその国の一の宮と見立て、ここに参拝すれば、六十六国すべてを廻ったことになるとされています。

稚児の塔(ちごのとう)

公明院から少し行くと見えてくるのが、稚児の塔(ちごのとう)です。

その昔、養子をもった夫婦がいました。

妻の留守中に妻宛に届いた手紙があったのですが、夫はこれをたいそう怪しんだそうです。

実際にその手紙は艶文だったのですが、夫は字が読めなかったことから、字の読める養子に手紙を読ませたそうです。

するとその養子は、夫婦仲が壊れることを心配して、あたかも普通の手紙のごとく読み上げたので、夫婦仲が壊れることはなかったそうです。

これを知った里の人たちは、たいそう感心して、後に供養塔を建てたものだと言われています。

稚児の塔から展望台

稚児の塔を過ぎて少し進むと分岐点に出ますので、右の道を進みます。

なお左に行くと戸隠バードラインに出て、森林植物園の方へ行くことができます。

ゆるやかな坂道になっていますので、道なりに進みます。

坂を登りきると、左手の視界が急に開けて、戸隠山が一望できる展望台に出ます。

この日は少し雲が掛かっていましたが、雲がない日はきれいに戸隠山を見ることができる展望スポットです。

奥社参拝者用有料駐車場から歩いても5分くらいでここまで来れますので、ぜひここまで来て荘厳な戸隠山をみてください。

展望台から奥社参道入口

展望台を過ぎて道なりに進んでいくと下り坂になります。

その下り坂を下りきると奥社参拝者用有料駐車場に出ます。

道を渡って、進んでいくと奥社参道入口にでます。見えている道路は戸隠バードラインで交通量の多い道路ですので、横断するときは気を付けて横断するようにしてください。

 

九頭龍社・奥社の見どころはこちらの記事を見てください。

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