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宿坊に泊まって戸隠を満喫しよう!

 戸隠神社周辺には、「宿坊(しゅくぼう)」と呼ばれる宿泊施設が数多く軒を並べています。

 宿坊では伝統的な精進料理に加え、戸隠そばや信州牛や信州サーモンといった長野ならではの料理を味わうとともに、朝拝などの寺社文化を体験することも可能です。

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戸隠神社 九頭龍社・奥社へ行く前にチェック!地元民が教える見どころ

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中社からさらにバードライン(県道36号線)を進むと奥社(おくしゃ)参道入口に出ます。

 

九頭龍社(くずりゅうしゃ)と奥社(おくしゃ)へは、約2kmの参道を歩いて行って参拝することになります。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)のご祭神

九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)

 

九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)は戸隠の地主の神様です。

社伝では、以下のような言い伝えが残されています。

 

平安時代の嘉祥二年(849年)に学問行者という修行僧が戸隠山に向かって法華経を唱えながら、お祈りをしていたときでした。

九頭一尾の龍が現れ、「自分はこの地に住んでいる元別当(寺務を統括する僧職)なのですが、仏様をないがしろにしたため、龍に姿を変えられてしまったのです。

その後、何人もの修行僧がやってきて経文を唱えていったのですが、経文を最後まで聞き終わらないうちに、修行僧はみな、私の毒気にあたって死んでしまいました。

でも今、法華経を唱えてもらった功徳(くどく、ごりやくのこと)によって、解脱(死者の霊が修羅(しゅら)の妄執(もうしゅう)をのがれて浮かばれること)することができました。」

と話し、この地の守護神となることを約束してくれたということです。

 

宝光社、火之御子社、中社、奥社のご祭神が神道系の岩戸伝説に登場する神々をご祭神としているのに対して、九頭龍社の九頭龍大神は地主の神であり、他の四社と性格を異にしています。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)のご神徳(ご利益)

水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神

 

龍は水を司る水神であり、古くから当地一帯の生活・農耕に必要な水をもたらす地主神として祀られてきたことから、治水や雨乞いに御利益があると言われています。

さらに水は生命の源であることから、縁結びにも御利益があると言われています。

また「歯なし」から「なし」を取ると「歯」が残ることから、九頭龍の好物である「梨(なし)」をお供えにして、自分は一生、梨を食べないと誓うと、歯の病が治るという言い伝えから、虫歯にも御利益があると言われています。

奥社(おくしゃ)のご祭神

天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)

 

古事記や日本書紀に記されている「天の岩戸伝説」で、岩屋の中にお隠れになった天照大神(あまてらすおおのかみ)が外の様子が気になって、岩戸を少し開けたときに岩戸を引き開け、天照大神の手を取って、岩屋から引っ張り出したのが、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。

 

「天の岩戸伝説」の詳細はこちらの記事を見てください。

奥社(おくしゃ)のご神徳(ご利益)

開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝

 

天の岩戸を引き開けた天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)をご祭神としていることから、開運、心願成就、五穀豊穣にあらたかな功験があると言われています。

また岩戸を引き開ける程の力持ちだったことから、スポーツ必勝にも御利益があると言われています。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)の駐車場

九頭龍社(くずりゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)へと続く参道入口周辺には、有料駐車場の他、無料駐車場もあります。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)へと続く参道入口周辺の駐車場情報はこちらの記事を見てください。

完全&最新 戸隠神社 奥社の全駐車場情報 ここなら停められる!
戸隠神社の奥社周辺には、無料駐車場2ヵ所と有料駐車場5ヶ所があります。 ただし冬季中(11月下旬から4月上旬)は、奥社周辺の駐車場の多くは閉鎖されてしまいますので、以下の目次の中から「冬季中の駐車場」を選んで、確認するようにしてください。 ...

九頭龍社(くずりゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)の境内

逆川(さかさがわ)

鳥居前の川を逆川(さかさがわ)といい、中社方向ではなく反対の信濃町方面に流れていることから、逆川と言われています。


きれいな清流で、岩魚の姿を見ることもできます。

参道入口

参道入口には下馬石が置かれています。

「何人もこれより先は馬を降りて徒歩で参拝してください」という意味で、ここから先は車では入れません。

奥社社殿までは2kmほどで後半500mくらいは坂道と石段なのですが、そこまでは平坦な道が続きます。

杉並木が見られる随神門までは、坂道や石段はありません。

 

なおこれより先はペットを連れていくことはできません。

抱えても入れないとされていますので、ペット連れの方はご注意ください。

 

「下馬石」の先には大鳥居が建てられています。

一龕龍王祀(いっかんりゅうおうし)

大鳥居をくぐって、すぐの左手に一龕龍王祀(いっかんりゅうおうし)があります。

近くの黒姫山登山道に種池という池があり、この水を汲んで雨ごいをすると必ず雨が降るという言い伝えがあるのですが、この池の主「一龕龍王(いっかんりゅうおう)」を祀った祠です。

高妻山神鏡碑(たかつまやましんきょうひ)

随神門の手前に高妻山神鏡碑(たかつまやましんきょうひ)があります。

高妻山には昔、修験者の登山道である「大澤通り」があり、ここがその「大澤通り」の入り口と言われています。

文久二年(1862年)に仏心という僧が高妻山に入山し、青銅でできた重さ40kg以上ある神鏡を奉納したと言われています。

この神鏡は今でも高妻山の山頂にあるのですが、この碑は神鏡を山頂に無事奉納できた記念として作られたとされています。

狛犬

随神門手前と九頭龍社・奥社手前の二箇所に狛犬が置かれています。

随神門手前の狛犬

随神門前にある狛犬は昭和62年に寄進されたもので、比較的新しい狛犬です。

九頭龍社・奥社手前の狛犬

九頭龍社・奥社手前にも狛犬が置かれています。

こちらの狛犬は古く、苔むしています。おしりを突き出したユニークな姿勢で出迎えてくれます。

随神門(ずいじんもん)

奥社社殿までの参道のちょうど中間地点あたりにある門が、随神門(ずいじんもん)です。

現存する戸隠神社の建築物で最も古い(宝永七年(1710年)に建造)と言われています。

 

随神門は三間一戸(さんげんいっこ)の入母屋造り(いりもやづくり)の八脚門(やつはし)です。

お寺の仁王門と同じように、左右には邪悪なものの侵入を防ぐための随神像が置かれています。

随神門はかつて(明治維新前の神仏習合の時代)は仁王門であり、仁王像が祀られていましたが、この仁王像は明治維新の神仏分離に際に善光寺の隣にある寛慶寺に移されました。

新たに置かれた随神は、左が櫛石窓ノ神(くしいわまどのかみ)、右が豊石窓ノ神(とよいわまどのかみ)で、天照大御神(あまてらすおおのかみ)の孫である邇邇藝命(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらのなかつくに、日本のこと)を治めるために、高天原から日向国(ひゅうがのくに)の高千穂峰へ天降(あまくだ)った時にお供した神様と言い伝えられています。

杉並木

戸隠神社で最も有名な観光スポットである杉並木ですが、樹齢400年以上の杉が参道の両側に80本以上見ることができます。

この杉並木は江戸時代初期に戸隠神社の威厳を高めるために植樹(※)されたものと言われていますが、400年たった現在において、荘厳な雰囲気を醸し出しており、まさに戸隠神社の威厳を感じさせるものとなっています。

 

(※):これらの杉は中社の三本杉を挿し木によって増やして植樹した可能性があることが、DNA鑑定によって判明しています。

足腰に自信のない方は九頭龍社(くずりゅうしゃ)、奥社(おくしゃ)参拝を諦める方も多いのですが、随神門(すいじんもん)までなら平坦な道ですので、足腰に自信のない方でも、随神門の先にある杉並木を見にいらっしゃってください。

奥社院坊跡(おくしゃいんぼうあと)

随神門(ずいじんもん)を過ぎると左手に石垣が続いているのを見ることができます。

平安時代から明治維新まで存在した奥社の院坊屋敷跡です。

かつてはこの場所に12の院坊(僧職が住む屋敷)がありました。

しかしながら明治維新で神仏分離がいわれるようになると院坊は廃止され、現在は石垣が残っているだけとなりました。

小百合(さゆり)杉

2010年にJR東日本が製作した「大人の休日倶楽部」のCMで吉永小百合さんが入った大きなうろのある杉があるのですが、CMが放映された後、吉永小百合さんにちなんで、「小百合(さゆり)杉」と呼ばれるようになりました。

現在は杉を保護するために、うろの中には入れないようにしめ縄が張られています。

法燈国師母公祈願(ほっとうこくしぼこうきがん)観音堂(かんんのんどう)跡と宝篋印塔(ほうきょういんとう)

院坊跡を奥社社殿方向にしばらく進むと法燈国師母公祈願(ほっとうこくしぼこうきがん)観音堂(かんんのんどう)跡と宝篋印塔(ほうきょういんとう)へと続く入口の案内が見えてきます。

参道から200mほど入ると観音堂(かんんのんどう)跡と宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見ることができます。

信州松本生まれの法燈国師(ほっとうこくし)は西方寺(現興国寺)を開山した僧で、大豆と大麦の麹に塩を加え、これに細かく刻んだ茄子、瓜などを入れ密閉して熟成させた金山寺味噌を日本にもたらした僧として有名です。

言い伝えでは、その法燈国師(ほっとうこくし)の母親がここで観音様(※)に祈願して法燈国師(ほっとうこくし)を身ごもったと言われています。

※戸隠権現の本地仏

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は比較的新しく昭和9年(1934年)に供養のために建てられたものです。

講堂跡(こうどうあと)

杉並木が終わってしばらく行くと、右手に川に架けられた橋を見つけることができます。

橋をわたると少し開けた講堂(僧侶が経典の講義や説教をする堂のこと)跡にでることができます。

間口24.3m 奥行き13.5mの中に礎石が60個ほど置かれています。言い伝えでは承徳2年(1098年)に造られた講堂の跡だといいます。

周囲からは平安時代後期の土器や11世紀の中国の北宋の古銭も多数見つかっています。

トイレ

後半500mにある坂道や石段の手前にトイレとベンチがあります。これより先にはトイレはありませんので、利用される方はこちらのトイレをご利用ください。

飯綱社(いいづなしゃ)

後半500mの坂道を進んでいくと左手に飯綱大権現(いいづなだいごんげん)を祀った飯綱社(いいづなしゃ)が見えてきます。

飯綱大権現は戸隠山の手前にある飯綱山の神なのですが、古から戸隠山の鎮守としてここに祀られています。

八水神(はっすいじん)の滝

さらに石段を進んでいくと、奥社のすぐ手前の右手に小さな滝があり、その下には八水神が祀られています。

手水舎(てみずしゃ)

八水神(はっすいじん)の滝を過ぎてしばらく行くと手水舎(てみずしゃ)が見えてきますので、参拝前に手を洗い、口をゆすぐようにしましょう。

本来は神聖な場所に参る前に禊祓(みそぎはらえ)を行うこととされていますが、手水舎で手を洗い、口をゆすぐことによって、一般参拝者向けに簡略に禊祓を行ったことになります。

【手水舎での作法】

  1. 柄杓を右手で持ち、左手を洗います。
  2. 左手に柄杓を持ち替えて、右手を洗います。
  3. もう一度柄杓を右手に持ち替えて左手に水を移してから、その水で口をゆすぎます(柄杓は次の人も使用しますので、直接口につけないようにしましょう)。
  4. 手の水を流し、もう一度左手を洗います。
  5. 最後に水を残ったので、柄杓を立てて手を持っていた部分を洗って柄杓を元に戻します。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)社殿

奥社(おくしゃ)に向かって左手に九頭龍社(くずりゅうしゃ)の社殿があります。

社殿奥から右手に向かって長い渡り廊下があり、その奥にある岩窟(戸隠三十三窟(※)のうち、龍窟(第二十四窟))つながっています。

 

※戸隠山には修験者が使用した洞窟や岩屋である「三十三窟」が山の中腹に残っており、それぞれ「般若窟」「龍窟」といった名称も残ってます。修験が絶えて久しいことなどから現在は道も定かではなく、それらへ辿り着くのは容易ではないと言われています。

奥社(おくしゃ)社殿

戸隠山の岩窟(三十三窟のうち、第一窟)前に奥社は建っています。

奥社(おくしゃ)社殿は幾度となく雪崩で崩壊(近世以降でも明治2年、昭和11年、37年、53年の雪崩により崩壊)してきました。

現在の社殿は昭和五十四年(1979年)に建て替えられており、雪崩にも負けないようにコンクリート造りとなっています。

授与所

九頭龍社(くずりゅうしゃ)の手前に授与所があります。

御朱印を受ける場合は、参拝後に立ち寄るようにしてください。

ここでは、九頭龍社(くずりゅうしゃ)と奥社(おくしゃ)の両方の御朱印をいただくことができます。

御朱印をお願いするときに何も言わなければ両方の御朱印をいただくことができます。もしどちらかの御朱印だけが欲しい場合は、その旨を授与所でお伝えください。

 

なお毎年1月7日に奥社で行われる 鎮火祭の後は、4月中旬ごろまで授与所は積雪のため閉鎖されてしまいます。

参拝自体は可能なので、もし冬期中に参拝して御朱印を受けたい場合は、参拝後に中社(ちゅうしゃ)の社務所までお越しください。

 

宝光社、火之御子社、中社の見どころは、こちらの記事を見てください。

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